運転免許が失効した
「親父殿、そろそろ運転はやめたほうがいいかもね」
そう口にしたのは、信号を無視して交差点に突っ込んだ日の夜だった。
何年も走り慣れた道、何百回も停まってきた信号。
それを親父殿は、まるで気づかなかったかのようにスーッと通り抜けた。
助手席にいたわたしは、「赤信号!」と叫んだが、親父殿はわたしの声にびっくりしたことに腹を立てた。
幸い交通量が少なく、見通しのいい交差点だったので大事には至らなかった。
ただ、家に帰って落ち着いた頃を見計らって、それとなく切り出した。
けれど親父殿は「そんなことあったか?」と笑うだけだった。
親父殿が認知症と診断されたのは、70代半ばのこと。
記憶が曖昧になる程度だと思っていたが、運転となると話は別だ。
一瞬の判断ミスが、自分だけじゃなく、他人を傷つけてしまうかもしれない。
それに親父殿には、もうひとつ気になる癖があった。
もともと建築関係の仕事を長年していたせいか、道路脇の工事現場を見かけると、ついそっちに目をやってしまう。
運転中であってもお構いなし。
「お、あれは鉄骨かな」「養生の仕方が甘いな」なんて言いながら、思い切りよそ見している。
口には出さなかったけれど、そのたびに助手席からそっとハンドルをサポートし、心の中で「頼むから前を見てくれ」と願っていた。
そんなある日、ちょうど免許の更新時期がやってきた。
ところがその頃、親父殿は原因不明の発熱が続き、入退院を繰り返していた。
体調が戻らないまま時間が過ぎ、気づいたときには更新期限を過ぎてしまっていた。
そのまま、免許は失効。
最初は「手続きに行くから」と言っていたけれど、病み上がりで気力もなかったのか、何もせず時が流れていった。
わたしが真っ先にやったのは、車の鍵を隠すこと。
「おい、車の鍵どこやった!」と親父殿は怒ったけれど、それでも運転させるわけにはいかなかった。
怒鳴られるのは慣れている。
それよりも、万が一、鍵を見つけて運転されるほうが何十倍も怖い。
鍵を隠してからひと月ほど経った頃、親父殿は何も言わなくなった。
車の話題すら出さない。
必要なときはわたしが運転するようにした。
「ついでに乗せてくれ」くらいの感じで、特にこだわりも見せなくなった。
事故の心配がなくなったのは、精神的に本当に大きかった。
なにより、親父殿自身が誰かを傷つけるリスクから遠ざかってくれたことが、わたしにとっても救いだった。
不思議なことに、車に乗らなくなってから、親父殿は以前よりも歩くことを面倒がらなくなった。
「ここまで歩くのも悪くないな」なんて言いながら、近所のスーパーまで一緒に歩くようになった。
運転しなくても、生活は成り立つ。
むしろ、車に頼りすぎていた頃よりも、地に足のついた毎日になったような気がする。